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ニューベリーポート (マサチューセッツ州) : ミニ英和和英辞書
ニューベリーポート (マサチューセッツ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ニューベリーポート (マサチューセッツ州) : ウィキペディア日本語版
ニューベリーポート (マサチューセッツ州)[す, しゅう]

ニューベリーポート()は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の北東部、エセックス郡に位置する都市である。ボストンの北東約35マイル (56 km) にある小さな海岸都市である。2010年国勢調査では人口17,416人だった。活発な観光業のある歴史的海港として、市域にはプラム島の一部も含まれている。機関付きにしろ帆船にしろレクリエーション用船舶の係留、冬の保管と保守が市の収入の大きな部分を占めている。アメリカ合衆国沿岸警備隊の基地が、特に潮の流れが速いメリマック川で船舶の活動を監視している。
ニューベリーポートの南側を縁取るニューベリー湿地の縁では、産業団地が幅広い職種を提供している。南北方向の幹線道州間高速道路95号線が市内を通っている。ボストンの外環状道路州間高速道路495号線が近くのエイムズベリーを抜けている。ニューベリーポート・ターンパイク(アメリカ国道1号線)が市内を抜けて北に向かう。ボストンに向かう通勤鉄道線はニューベリーポートの新しい駅で終わる。昔は北に続いていたボストン・アンド・メイン鉄道は廃線になったが、一部は観光列車線に転換されている。
== 歴史 ==
ニューベリーポートはニューベリー・プランテーション、現在のニューベリーの一部として1635年に設立された。1764年1月28日、マサチューセッツ州議会が「ニューベリーの町の一部をニューベリーポートという名前で新しい町とする法」を成立させた〔.〕。その法は次のようにうたっていた。
ニューベリーの町は大変大きく、水際に住む住民は商人、交易業者、職人が多く、他の部分に住む住民は主に農夫である。その公的事情を取り扱うには多くの困難さや異論が持ち上がる。そこで、前出の(水際の)部分を別の町として設立する。

この法は1764年2月4日にフランシス・バーナード総督が承認した。新しい町は広さ647エーカー (2.62 km2) とマサチューセッツで一番小さく、357軒の家に2,800人が住んでいた。造船所が3か所あり、橋は無く、渡し船は幾つかあった。そのうち1つは、グリーンリーフ・レーン、現在のステート通りの端にあり、ニューハンプシャー州ポーツマスとボストンの間を走るポーツマス・フライング駅馬車を運んでいた〔Currier (1906) pages 5, 27–29.〕。
この町は繁栄し、1851年には市になった。メリマック川河口近くに位置し、かつては漁業、造船業、海運業の中心であり、また銀器製造業もあった。メリマック・アームズ・アンド・ブラウン・マニュファクチャリング社が、1867年から1873年まで、そのニューベリーポート工場でサウザナー・デリンジャー拳銃を製造していた〔James, Garry ''American Rifleman'' (June 2012) p.88〕。マサチューセッツの他所と同様に、ニューベリーポートの昔の船長達は活発に三角貿易に関わり、西インド諸島糖蜜を輸入し、それから作ったラム酒を輸出した。醸造所は水際に近いマーケット広場周辺にあった。コールドウェルのオールド・ニューベリーポート・ラム酒は、19世紀に入ってもこの地で作られていた。
マサチューセッツでは奴隷を購入するのが違法だったが、他所で購入された奴隷を所有することは合法だった。その結果ハイ通り沿いにある瀟洒な家屋では、アフリカ人インディアンの奴隷が働いており、その状態はアメリカ独立戦争で新しく結成されたマサチューセッツ州議会が奴隷制度を全て廃止するまで続いた。
奴隷制度についてニューベリーポートでは常に問題があった。説教檀での話題にされることが多かった。独立戦争後は、奴隷制度廃止運動が根付いた。地下鉄道 (秘密結社) に対する貢献では、何人かの市民がアメリカ合衆国国立公園局に認定されている。奴隷制度廃止運動は、ニューベリーポートで生まれ、反奴隷制度の雰囲気の中で育ったウィリアム・ロイド・ガリソンの活動でピークに達した。ガリソンの彫像が、奴隷制度廃止運動家の集会を行ったブラウン広場に建てられている。
ニューベリーポートには、ジョージス・バンクからメリマック川河口までで操業した漁船団があった。独立戦争や米英戦争の間は、私掠船活動の中心だった。1832年頃から多くの捕鯨船が加わった。後にはクリッパー型帆船が建造された。今日のニューベリーポートには、かつて海洋で活躍した痕跡がほとんど残っていない。昔の地図にはメリマック川の水路に伸びていたドックが無くなり、造船所の跡は水際の駐車場になっている。
著名で影響力あるイングランド人説教師で、アメリカにおける第一次覚醒運動にヒントを与えたジョージ・ホウィットフィールドが、1740年9月にニューベリーポートに到着した。その努力を復活する動きにより、オールド・サウス教会ができた。そこは1770年にホウィットフィールドが死んで埋葬された場所だった。
市内の歴史の証しとして次のものがある。
歴史的なできごと
* アメリカ沿岸警備隊初の基地
* クリッパー型帆船の最初のものが建造
* イギリスの茶税に反対する最初の「ティ・パーティ」反乱
* 州初の造幣敞と財務局ビル
* 最古の現役裁判所
歴史的な家屋と博物館
* クッシング家屋博物館 & 庭園 (1808年頃)
* ニューベリーポート税関博物館 (1835年)、建築家ロバート・ミルズが設計
文学の中で
* H・P・ラブクラフトの小説『インスマウスの影』では、インスマス近くにあると言われている。 ラブクラフトは実際にニューベリーポートに基づいてインスマスの情景を描いた
* 人類学者W・ロイド・ワーナーとその仲間が行ったヤンキー・シティ・プロジェクト、これまで行われた中で最も大望ある地域社会研究の対象になった

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニューベリーポート (マサチューセッツ州)」の詳細全文を読む




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